いじめには、「加害者」「被害者」「傍観者」「家族」の4者がある。
最も悪いのは「加害者」。
自分よりも弱いやつを、さらに深みへ落とす悪いやつ。
加害者にも人権があって、それを保護しなければというが、
とんでもない間違いだと思う。
程度もあるかもしれないが、相手が死ぬことを選択したときには、
そこまで追い詰めた元凶は加害者であることは間違いない。
喧嘩でも、殴りすぎれば相手は死ぬ。いじめでもやり過ぎれば、
相手は死んでしまうこともあるのだ。
昔の喧嘩ならば、相手にならなければ執拗に殴り続けることはしないだろう。
しかし、今のいじめ問題はどうだ。
相手を殴る加減も知らず、相手が死んでしまうかもしれないことも考えず、
相手が弱いと解ると、図に乗って更なる危害を加える。
もはや、ヤクザよりもたちの悪い犯罪者である。
法の裁きを受けさせて、世間のさらし者にして、なんの躊躇があろうかと思う。
「一罰百戒(いちばつひゃっかい)」その惨めな姿を見て、いじめは悪だという
ことを、多くのこども達に理解してもらいたい。
その対極にいるのが「被害者」。
被害に遭った本人は、どれほどつらいことか想像に絶するものがある。
毎日毎日がイヤでイヤで、毎日朝が来ることが恐ろしくて苦しくて
その結果として、時に死を選んでしまうのだろう。
その心の中は、永遠に続く地獄の責め苦の中に放り込まれたようでもあり、
或いは助けも来ない暗闇の中、深い海にたったひとり落ちて沈んでゆく、
孤独と絶望に心が壊れてゆくような、そんな気持かもしれない。
でも、そんな彼・彼女たちに私は言いたい。
「あなたの生きる世界は、今の場所ひとつだけでは無い」
「死を選ぶぐらいなら、別のところに逃げたら良い」
「だれかに相談したら、生き残る道が見つかる」
「今大変でも、人生の勝ちは必ずあなたのものだ」
真っ向勝負だけが人生じゃ無い。逃げて良いときもあると思う。
立ち向かうのも、やり過ごすのも、選択肢はたくさんあることを
知って欲しい。
今のつらい状況は永遠に続かないし、
どんな形にでも自分で変えることが必ず出来るから。
「傍観者」はクラスメイトや先生や学校・組織など社会そのものだ。
「一言報恩」一声掛けましょう。
縮こまって殻に籠もった被害者の心を救うのも、
やり過ぎてしまう加害者の行き過ぎを停めることが出来るのも、
他ならぬ傍観者だけだと思う。
正義感じゃ無くていい。格好つけなくていい。
近くにいるのであれば、すぐに出来ることだ。
学校や組織は、責任の所在に右往左往せずに、本当に忌むべきものを
間違いないで欲しい。、
起こってしまった事態に対して、どんな風に組織が対応して欲しいかという
被害者本人やその親の側の視点で行動して欲しい。
「家族」はとても大切。
誰よりも「被害者」と同じ視点で見られるのが、親であり家族だと思う。
大変なときに、一番心を寄せてあげられるのが家族であると思う。
時には被害者の代弁者として社会に立ち向かい、時には被害者の癒やしとなり、
時には被害者の心をそっと押してあげ、生きていく翼を広げる手伝いをしてあげたり。
被害者の良き相談者であり、心の傷の共有者であり、大きな心で抱きしめてあげ
られる一番の理解者であり、未来への道を指し示してあげられる指導者であり、
被害者の傷ついた心へ踏み込む権利を持つ、唯一無二の存在であって欲しい。
家族は社会の荒波に漕ぎ出す前の「小社会」の役割を持っていると思う。
いじめの問題が我が家族の中に起こったときに、それが「被害者側」でも
「加害者側」でも、家族が前述した立場にいるためには、日々の努力が必要だと思う。
小さな頃から親が親としての役割を果たしていくということが、
いじめを撲滅する大きな力になると思う。
甘やかしだけでは、こども達のためにならない。他人との距離感を学ばせて欲しい。
だから、全ての親が「家族の意味」をしっかり考えてもらいたい。